沖縄すば料理
A家食堂
定休日/水曜日・第3日曜日・日曜夜
コンセプト
CONCEPTいわきの沖縄へ
ようこそ
「おかえり~、今日はどうだった?」
みんなが帰れるもうひとつのお家。
どこか懐かしい癒される空間で、
心にも体にも優しい手料理が待っている。
「ここから元気に、行ってらっしゃーい!」
みんなを応援したい、みんなを笑顔にしたい
そんな、いわきの沖縄あ~やの店
お知らせ
NEWS-
『A家食堂15周年感謝祭&LIVEのお知らせ』
来る11月22日にお陰様で15周年を迎えます。 本当に早いものです。 今年は当初…
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10月後半の営業予定
20日〜22日の3日間は、臨時休業致します。大変申し訳あ りません。どうぞよろし…
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谷本賢一郎さんのLIVE✨️
谷本賢一郎さんのLIVE終了✨️ タニケンさんの優しい歌声に、まいこさんの素敵な…
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A家食堂とは
AyaSHOKUDOUA家食堂とは
いわきと沖縄の
つながり
CONNECTION
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袋中上人1552.1.29-1639.1.21
慶長8年(1603年)いわき出身の僧「袋中上人」は琉球に渡り、念仏の教えを初めて伝え、国王の帰依を受け民衆に布教しました。その念仏は琉球の歌や踊りと融合し、沖縄の伝統芸能「エイサー」の源流となりました。
「エイサー」は現在も地域の青年会が継承し、盆の時期に先祖の霊を慰めるために躍られます。これは、いわき地域で袋中上人の後に始まり、踊り継がれている念仏踊り「じゃんがら」と同様の慣わしで、両者は兄弟関係にあります。
エイサーとじゃんがらを通じ、沖縄といわきの人々は、現在も活発に交流を続けています。 -
鯨岡阿美子1922.2.21-1988.2.22
私が沖縄で修行をすると決めた時、学ぶならば一番格式がある老舗に挑戦したいと、最も創業が古い那覇市久茂地にある琉球料理「美栄」に何も知らずに電話をしました。当時社長だった古波蔵保好さんは毎日新聞の記者、論説員を経て、退社後はエッセイストとして活躍していました。その夫人が鯨岡阿美子さんで、いわき市常磐湯本町で高校まで育ち、毎日新聞社政治部の記者から、黎明期の民放テレビ局日本テレビ初の女性ディレクターを勤め、日本のプレタポルテの土台も築き、自らアミコファッションズを設立。戦後のファッション業界の草分け的存在であり、三宅一生氏ら多くのデザイナーに影響を与えた方でした。
電話をかけた時は、すでに阿美子さんは亡くなっていましたが「福島県いわき市常磐から」と言うと、「社長の奥さんのお知り合いですか?」と尋ねられ、「とりあえず面接に来てください」と言われました。
そして、何かご縁があるのかもしれない、と美栄での修行を許されたのです。遠く離れた見知らぬ土地で三年間、頑張れたのは周りの人たちの温かなこころと、亡き阿美子さんの存在でした。
美栄の仏間に飾られた阿美子さんの口角が上がった微笑んでいる遺影は、つらい時に「あなた、頑張りなさい」と励ましてくれました。修行を終え、地元に帰り
それから10年後、お店の開業準備をしていた頃です。
店は自宅に近い最寄り駅のある町、湯本で開こうと物件を探し、偶然にも人伝に辿り着いた今の物件でした。常磐炭鉱長屋の名残りある、築60年は過ぎているだろうこの空き店舗に、私の趣味のアンティークが映えそうだと決めました。開業して間もなく、この土地は阿美子さんの実家である鯨岡家が当時常磐炭鉱に携わる地主であった場所だと知りました。遠い沖縄の地に眠る阿美子さんが、ふるさとに思い残すことはなかったのだろうかと考えることがあります。
いわきで育ち日本人の女性の中でも、時代の最先端を進み活躍された鯨岡阿美子さん。命日にお参りに来たお弟子さんから、「阿美子さんは生前、女性が活躍出来る世の中になるよういつも思っていました。きっとあなたを応援していますよ」と言われました。
このご縁を大切に、いわきから沖縄を発信することは、私の使命とも感じています。